日本を代表する伝統芸能としてあげられるのは、歌舞伎、文楽(人形浄瑠璃)、
能楽である。そして、そのすべてが関西を源として発展してきた。
16世紀の若者を中心とした異様な振る舞いの「かぶ(傾)く」を語源とする歌
舞伎は、17世紀初頭、出雲の阿国という女性が京都で見せた「かぶき踊り」が
起源とされている。その後、専門の役者が現れ、台本なども整備され、17世紀
後半には、ほぼ現在の姿になった。当時、江戸幕府によって女優を使うことが
禁止されたため、男性が女性も演じるという独特の様式をとっている。
この時代、大坂、京都では江戸とともに、歌舞伎などを上演する芝居小屋が立
ち並び、上方歌舞伎を生んだ。それは将軍家のお膝元として、江戸歌舞伎が高
踏的に構えてしまったのに対し、実際に同時代に起きた事件などを素材に、虚
と実の狭間で人間の真実の姿を描こうとしたもので多くの観客をひきつけた。
現在も京都・南座や大阪・中座/新歌舞伎座などで公演され、7月に中座公演
のプレイベントとして行なわれる「船乗り込み」、そして年末に京都・南座で
行われる「顔見世」はそれぞれ季節の風物詩となっており、全国から観客を集
めている。また、関西の市民団体も上方歌舞伎の育成に力を注いでいる。
人が演じるのが歌舞伎とすれば、人に代わって人形に情感を演じさせるのが文
楽である。文楽の原初的な形は人形芝居というより、人形操りという素朴な形
の芸能であった。東アジアから渡来、西宮(兵庫県)に住みついた傀儡師の芸
能であったとされ、16世紀に琉球王国を経て堺に入った三味線、京都で発展し
た浄瑠璃を取り入れて今日の文楽へと発展した。17世紀から18世紀にかけて隆
盛を誇り、人形を3人で操るという今日の原型も、この時代に成立した。現在、
大阪には文楽公演の拠点として国立文楽劇場があり、文楽の普及に努めている
ほか、後継者の育成に全力をあげている。
能楽は歌舞伎、文楽以上に古い歴史を持っている。ルーツは興福寺(奈良県)
の薪能の折に奉納されていた猿楽であり、14世紀に観阿弥、世阿弥という父子
の名手が登場して完成した。能面をかぶった役者の舞は、本来は変わらないは
ずの能面に喜怒哀楽を写し、西洋の心理劇にも通じるものがある。大阪、京都
などで、それぞれの流派が上演の舞台となる能楽堂を持ち、定期的な公演を行
っているほか、社寺の能舞台などを使って野外の薪能が演じられ、観客を中世
の幽玄の世界に誘っている。
このほか、能楽と同様、雅楽から発展した箏曲では、生田流が17世紀末から18
世紀初めにかけて興り、京都、大坂で盛んになった。また、京舞、上方舞とい
う独自の日本舞踊もあり、関西は日本の伝統芸能の宝庫となっている。