商品取引

大阪には徳川時代中期、幕府の年貢米を管理していた淀屋など町人蔵元と呼ば れる有力商人がいた。彼等による米穀の現物売買から自然発生的に生まれた米 穀市場が先物取引へ移行し、わが国の商品取引所のルーツとなった。明治時代 以降、上場商品は綿糸、生糸、人絹、砂糖などに広がったが、第二次世界大戦 の戦時下に取引所はすべて解散した。戦後1950年に公布された商品取引所法に 基づき、同年に戦後全国第1号設立の大阪化学繊維取引所に人絹糸、スフ糸、 翌51年に綿糸、綿布を扱う大阪三品取引所、さらに52年には大阪穀物取引所と 大阪砂糖取引所が再開された。
神戸には戦前、雑穀と肥料ではわが国唯一の会員組織である神戸穀肥取引所が あったが戦後、雑穀類の統制解除に伴い1952年に神戸穀物商品取引所として生 まれ変わった。同年に神戸ゴム取引所、前年の51年に神戸生糸取引所が開設さ れ活発な取引が始まった。
最近では、外国為替管理法の改正や海外先物取引受託法の公布などに伴う流通 経済の国際化に対応するため、これらの取引所の間で統合が続いた。1984年、 大阪化学繊維取引所と大阪三品取引所が統合され現在の綿糸、毛糸、スフ糸を 上場する大阪繊維取引所が誕生。また93年には、大阪穀物、大阪砂糖、神戸穀 物商品の3つの取引所が統合され関西農産商品取引所となり、小豆、輸入大豆、 粗糖、精糖、粗糖の派生商品である粗糖オプションなどの農林水産物資などの 総合取引所としてスタート、95年10月には、上海糧油商品交易所などとも友好 交流関係を締結し、その国際化に努めている。