伝統的商業施設

日本独特の流通機構と言われる「卸売り」制度いわゆる問屋は、江戸時代日本 の商業の中心としてすでに大都市であった京都、大坂で発達し、特色ある伝統 的商業地区が形成され、今日に至っている。
大坂城の西側は、船着き場という意味の船場と名付けられ、1600年ごろから多 くの商人が住み着いた。「天下の台所」大坂の中枢部として繁栄するのは、大 坂冬の陣、夏の陣(1614〜15年)以降のことである。業種としては、江戸時代 には両替商、呉服商、薬問屋、唐物問屋、木綿太物問屋が多かった。現在では 北部には証券や薬品関係、中部には繊維関係、南部には小間物、雑貨、玩具な どの問屋がそれぞれ集まっている。繊維問屋街に1970年建設された東西930m、 延べ面積167,000m2の船場センタービルは、繊維の物流効率化を推進してきた。 大阪市の黒門市場近辺は、1820年代から鮮魚を売っていた場所とされているが、 市場としてオープンしたのは1902年で、現在のように有名になったのは戦後の ことである。魚、野菜など生鮮食品の小売店が集まり、大都市の胃袋を支える 町として栄えてきた。さらに日本橋近辺は、古くから履き物や、家具、調理用 品の問屋街として発展してきた。戦後の電化時代の到来とともに家庭電化製品 を売る店が増え始め、今では「日本橋」は電化製品の町と同意語になり、近年 は「でんでんタウン」という名で親しまれ、また品揃えも時代を反映して変化 した。かってのテレビ、冷蔵庫、洗濯機などの家庭用電化製品に代わって、今 日ではパソコンとその周辺機器を扱う店が増加している。
京都の伝統産業を代表する西陣織、京染、丹後ちりめんを扱う問屋が集中して いる室町通は、平安時代末期から都を南北に貫く中心的道路で、古来から商工 業者を中心に町が形成されてきた。江戸時代には繊維を中心とした商業町とし て栄え、巻物呉服屋、木綿足袋、上下帷子などの商家が並んだ。やはり鎌倉時 代から商業町として発達し、室町時代には酒屋をはじめ多種多様な職種の人々 が集まっていた錦小路は、現在、生鮮食品、特に魚や野菜を扱う小売店が数多 く軒を連ねている。これらの店は市民の台所としての役割だけでなく、伝統的 な京料理をだす高級料亭を対象とした食材の卸も行っている。