●関西とアジア太平洋

■アジア大陸との密接な関係

難波津の昔から、関西はわが国の中でもっとも早くからアジア大陸と交流を重 ねてきた歴史があり、そこには大陸から渡来した多くの人が住み、異文化がご く自然に地域社会に根付いていた。

約1,500年前、アジア大陸からさまざまな文化が日本列島に伝播した。それは 文字から始まって、宗教、法治制度から都の造営に至るまで社会事象のあらゆ る面に亘っていた。

大化の改新を経て、奈良時代(710〜793)の国家体制は大陸の隋、唐に倣っ た律令制度を採用した。当時、奈良の平城京は、唐の都長安の都市計画を手本 にした大規模なものであった。

このような都の造営計画はその後の京都の平安京の造営にも受け継がれている。

以来長い年月の間に、これらアジア大陸からの渡来文化は、わが国に溶け込み、 わが国独自のものに姿形を変えてきた。日常の生活習慣をはじめ、書画、彫刻、 建築様式など、アジアからの文化はわが国古来の文化様式と融合して、現代の 日本人の社会生活の隅々にまで色濃く残っている。

アジア太平洋地域と関西の密接な関係は、関西に居住する外国人の数に示され ている。関西に在住する外国人のうち、アジア太平洋地域からの人々は、韓国・ 朝鮮人約32万、中国人約4万をはじめ、フィリピン人、ベトナム人、タイ人、 インド人、インドネシア人、マレーシア人、シンガポール人、ミャンマー人な ど合わせると約37万人で、日本に在住するアジア人のほぼ4割が関西に居住し、 関西に住む全外国人約40万人の9割以上をアジア人が占める。

大阪府下には全国の在日韓国・朝鮮人の約3割にあたる約18万人が住んでおり、 その半数以上は日本で生まれ育った二、三世たちである。大阪市生野区には日 本最大のコリアタウンが広がる。そこでは故国の文化を継承しつつも、日本社 会に溶け込んで様々な業界で指導的な活躍をしている青年達がみられる。

約7万人の韓国・朝鮮人が住む兵庫県では、神戸市長田区周辺が最大の居住地 である。阪神・淡路大震災で大きな被害を受けたが、危機を乗り越えて復興に 立ち上がった。そして震災地跡で民族祭「長田マダン(広場)」を繰り広げて、 今後の復興に対する一体感を深め合った。

中国人は大阪府下約1万8,000人、兵庫県下約1万3,000人と日本全体の約8割が この2府県で生活しており、貿易商社、中国料理店などを営んでいる。震災か らほぼ立ち直った神戸市中央区の中華街「南京町」には、神戸っ子のみならず、 大阪や京都などから、この街に本場の中国料理を楽しみにやって来る人も多い。

大阪市内の古くからの問屋街「船場」や神戸市内ではインド商人が古くから日 印貿易を手掛けており、京阪神の盛り場では、タイ、ベトナムなどのエスニッ ク料理店も次々にオープンしている。一流新聞にも、中国語やハングルなどの 語学講座の広告が掲載されており、またラジオ、テレビの語学講座テキストも 大変な売れ行きで、アジアへの関心の高さがうかがえる。